Everything's gonna be alright

英語圏のサッカーの戦術分析記事の翻訳ブログ

先日ニューヨークタイムズレバークーゼンのスカウトに関する面白い記事を見つけたので紹介したいと思います。

近年ドイツではナーゲルスマンやテデスコに代表されるように指導者は優秀であれば選手としての実績が乏しくてもトップチームのポストに引き上げられる流れにありますが、どうやらその流れはフロントの人間であるスカウトも例外ではなくなってきているようです。

下は元記事のリンクです。

*尚、拙い英語力で翻訳していますので一部意訳、誤訳があるかもしれませんがご了承ください。

 

www.nytimes.com

 

レバークーゼン、ドイツ。Jonas Boldtが見ている課題はサッカーにはもはや見つかっていない秘密はないということ。もう未知の領域はなく、あらゆる手段は尽くされ、隠された宝石などない。

例えば彼のキャリアを変えた成功、彼の生まれ育ったクラブでのインターンシップから始まり現在のポストであるドイツ有数のビッククラブのスポーツダイレクターに上り詰めるまでの道のりはほとんど起こることがなかった。世界は変わりすぎ、狭くなりすぎ、多忙になりすぎている。

2007年、Boldtはまだ20代中頃で経営学とスポーツマネージメントの修士号を取得し、レバークーゼンでの二つのインターンシップを終えたばかりで、語学習得と人生経験のために南米で時間を過ごすことを決心した。

 レバークーゼンでの彼の主なタスクはクラブが持つ契約する可能性のある選手のデータベースを作ることだった。そして彼の働きぶりは当時のスポーツダイレクターだったMichael Reschkeの目に留まるに十分だった。

Boldtがブエノスアイレスへの引っ越しを伝えると、Reschkeから将来の獲得選手の発見の視察を兼ねてクラブから手当てを支給することを提案された。Boldtは半年間、朝4時間スペイン語の勉強をし、午後の時間は試合観戦にあてる生活を送った。

ブラジル同様アルゼンチンはヨーロッパのビッグクラブのスカウトや代理人や仲介人が群がり、新たなタレントを発見しビッグクラブに売却して莫大な利益を手に入れることを狙っている。
昔は知られていない秘密の場所がまだ存在した。2007年、BoldtはU-20南米選手権を視察するためにパラグアイアスンシオンに足を運んだ。彼は左のサイドバックを探すよう指示を受けていたが、代わりに彼の心を捉えたのは赤のモヒカン頭のエネルギッシュに走り回るチリ人MFだった。

Boldtは彼の上司達にチリに来て直接彼のプレーを見るべきだと主張した。彼らは何度もコロコロでのそのチリ人MFのプレーを確認してBoldtの主張が正しいことが分かった。半年後レバークーゼンは彼との契約を締結し、Boldtはデュッセルドルフ空港でアウトゥーロ・ビダルを出迎えた。ビダルの成功(彼はその後ユベントスバイエルン・ミュンヘンバルセロナへ移籍した)はBoldtのキャリアを変えた。二年後彼はレバークーゼンのスカウト部門のトップに就任した。そして今夏、彼は36歳にしてただのインターンからスポーツダイレクターにまで上り詰めた。彼はこのサクセスストーリを”little dream”と表現した。

そういった意味で彼ははジョシュア・キミッヒやユリアン・ブラントのような選手、またはユリアン・ナーゲルスマンやドメニコ・テデスコのような監督と同様にブンデスリーガの近年のユース年代への努力を表す成功例と言える。ドイツサッカーは現在、選手や監督の育成に留まらず、フロントの人材をも育てようと目論んでいる。

レバークーゼンのようなクラブではBoldtの担う役割はとても重要だ。彼はレバークーゼンのスタジアムでのインタビューの中で「我々はチャンピオンズリーグに出るための予算を組んでいる。だがそこに出場できない年があるのも分かっている。」と語っている。

そういったチャンピオンズリーグに出れない期間は、Bayerのような大企業がバックに付いているとしても、選手を売って財政のバランスを取らなければならない。今夏チャンピオンズリーグの出場権を逃したことで、ゴールキーパーを2800万ドルでアーセナルへ売却した。Boldtの仕事の一部はタレントの安定的に供給し続けることだ。そのためにはチャンピオンズリーグに出場し続けるか、食物連鎖の上位にいるビッグクラブから注目を集め続けなければならない。

レバークーゼンのピッチ上での成績は素晴らしいが、そのスカウティング能力は高く評価されてきた。例えば、近年レバークーゼンビダルだけではなくアンドレ・シュールレソン・フンミン、ハカン・チャルハノール、エムレ・ジャン、ケヴィン・カンプルなどで大きな利益を得ている。

これまで成功してきたがこれからの同じように成功するのは至難の業だ。新しい市場にはすぐに人が殺到し原石はきれいに刈り取られる。ビダルの成功のあとに起こったように、いたるところで今も起こっている。「今は誰しもがチリをチェックしている。」Boldtは言う。

トップを走り続けるために、Boldtは次々にめずらしい場所に出向いて新たな金の卵を他の競争相手より先に見つけることに集中していない。代わりにそういったタレントを見つけ出す人たちの方に注意を払っている。Boldtのもと、レバークーゼンはスカウトにとっての仕上げの学校に変貌している。

Boldt曰く、スカウトに必要なスキルは生まれ持ったものではなく、後天的に獲得できるものだ。有望な選手を見つけることが可能なバックグラウンド、判断を高めてくれる必須の過去の経歴や特別な知識はない。指導者と同様に、ドイツは名選手しか隠された成功のための秘密にアクセスできないとは考えていない。Boldtはスカウティングはほとんど誰でも学べるものだと主張する。

「特別な基準は存在しない。下部リーグでプレーし、選手としては成功できなかった者かもしれないし、大学で学んだ者、野心のある誰かかもしれない。」

レバークーゼンはケルンのthe Sports Universityと繋がりをもっている。これが有益な良い結果を生むことは証明されている。たいてい新人はBoldtのようにインターンからスタートする。「我々は彼らにいくつかの小さな仕事を与える。正規契約する保証も約束もしていない。ただチャンスを与えるだけだ。」Boldtは言う。15年前に彼が与えられた物と同じように。
「扉を常に開いている。ただそれだけだ」Boldtは言う。彼は忠誠心と情熱を見せて何度も何度も質問してくる者を探している。

スカウトは特にそれが必要だ。Boldtは年間スタジアムで250試合見て、ほとんど毎週ヨーロッパと南米を行ったり来たりした時期があった。
「この経験はゲームを理解する助けになった。だが我々はこれを”仕事”と捉える者は必要ない。」彼は言う。
しかし各地を飛ぶ回って現地に足を運ぶことだけがスカウトの仕事ではない。Wyscoutというクラブが使っているビデオサービスで試合を見たり、世界各地にいるクラブが抱えるフリーランスからのレポートを受けたり(正規雇用のスカウティングスタッフはたった10人しかいない)、獲得候補の選手のバックグラウンドやパーソナリティーをチェックしたりする。(現在多くのクラブは選手たちのSNSの履歴をチェックするようになっている。)

しかし最も重要なことはコーチや代理人、選手達との信頼関係を構築することだ。

これはBoldtが何か月も南米でやったことだ。これがレバークーゼンビダル獲得を可能にしただけでなく、血気盛んな選手を新しい環境に慣れさせることを助けている。Boldtはデュッセルドルフ空港でビダルを出迎えたあと、ビダルを彼の家に連れていき、若干20歳のチリから遥々来た若者と1年間共生活を共にした。

彼は自分が特別に先見の明があったから成功できたとは思っていない。彼が育てたシステムが彼が提供しているものがよそとの違いを作り出しているという彼の確信を支える証拠だ。それはチャンスを与えることである。それはまだ初期段階にすぎないが、その結果が現時点で彼の正しさを証明している。スカウトは生まれつきの才能ではなく、作り出されるものだ。

バイエルンレバークーゼンのチーフスカウトだったLaurent Busserを引き抜いたあと、今年の初旬、Claus Costaを後任に任命した。Claus Costaは下部リーグで選手時代を過ごし、10年以上前のBoldtと同様に非公式な形でこのクラブにやってきた。
バイエルンで働いている元レバークーゼンのスタッフはBusserだけではない。バイエルンのチーフスタウトのMarco Neppeも同じく2014年に移籍した。彼は選手時代はずっと下部リーグで過ごした。BoldtはNeppeが自身以上のタレントを見つけられるのだと証明するためのチャンスを与え、そして彼はそのチャンスを掴んだ。
選手を発見することが仕事の者にとっては過去になく厳しい時代だ。世界は狭くなりすぎ、繋がりすぎ、オープンになりすぎている。隠された秘密をもうなにもない。

だが選手を見つける人間を探すことが仕事の者にとっては未知の領域は十分残されている。